■「物作りの哲学」~物作りは作者の思想が体現される。・・・平たく言えば人が作りだした物には、作り手の「人となり」が反映されていると言う事であり、国家で言えばその国の生産物(工業製品から芸術作品に至るまで)にはその国の「お国柄」が反映されているという事です。「お国柄」とはその国固有の価値観・気質・慣習等の事です。例えば自動車で言うとイタリアは嘗ては伝統的な「芸術性と職人技」で自動車を芸術品にまで昇華した程に名車を生んできました。その陽気で社交的なラテン気質でイタ車は(ちょっと緩めでも)「デザイン」や「味」と言った人の「感性」に訴える車作りを得意としています。アメリカは自動車の発明には遅れは取ったものの、T型フォードでは大量生産に成功し自動車の大衆化に大いに貢献しました。新しい国家らしく何物にも囚われない自由な発想と、いかにも大陸的(少し大雑把、良く言えば大らか)な独自の自動車文化を育んで来ました。日本はと言えば後発ながらも、勤勉・実直・研究熱心な気質と弛まぬ努力の結果、(少し個性には欠けるものの)コストパフォーマンスに優れた高品質な日本製自動車の地位を築き上げてきました。
■ ドイツ自動車産業はドイツの輸出量の40%を占めるドイツ経済の屋台骨です。自動車発明国の威信とクラフトマンシップから生み出される品質と性能は折り紙つきで、そのブランド力は今日なお「自動車王国」の名を欲しいままにしています。ドイツ自動車ブランドの構成は独特のヒエラルキー(独語:階級制)が存在します。良く言えば「棲み分け」です。メルセデス・ベンツが高級車、フォルクスワーゲンは大衆車、BMWはその中間に位置します。このようなドイツ固有の「階級制」が生まれた理由を知るには歴史を紐解く必要があります。隣国フランスは市民革命(フランス革命)によって王政が終わり、自動車も早くから民衆の為の「大衆車」が作られていたのに対し、ドイツは帝政プロシア時代からの王宮貴族が存在し、カスタマーはこれらを対象とした豪奢な高級車が必要とされていました。その結果車に「クラス(階級)」と言う概念が生まれ、ユーザーにも自分の所属する階級に相応しいメーカーを選ぶという風習(階級制)が根付く事になりました。欧州の企業にみられるカンパニーカー(会社が社員にその役職や能力に応じた車を支給する制度)では、必然的に社会的な地位と車のクラスが近似しています。現在のグローバル化の波の中で世界の自動車メーカーは生き残りを賭けて集合と離散を繰り広げています。ドイツ自動車メーカーも例外ではなく他国の高級ブランドの買収や提携、さらには棲み分けを無視したかのようなクラス・ラインナップの拡張等で、その階級の境界が曖昧になりつつあるように見えますが、そこは何事にも厳格なドイツ人、しっかりとそれは維持されています。メルセデス・ベンツはドイツの誇りであり、その地位は永遠に不動なのです。
■ つい先日、ドイツとフランスの首脳が相次いで来日しました。それはこれまで頼りきっていた中国経済の先行きへの不安と、一方でアベノミクスにより再び台頭するかもしれない日本経済への期待を込めてのしたたかな外交だと言われています。元々ヨーロッパでは早くから日本文化が評価されていましたが、今日本食やサブカルチャーなど再評価されています。EU諸国は今日本を注目しています。あらゆる業界業種が「日本」をリサーチしています。それはマーケティングのみならずその背景にある文化に至るまでの広範囲に及びます。自動車業界もしかりです。これは日本にとっては大変名誉な事とも言えますが、もしドイツが日本にあってドイツに無い「何か」を手にした時!?・・・・・・・「恐るべしドイツ!」です。 (六)